TIRORI BLOG

生後二ヶ月の娘《ぽちゃっこ》との話

幸せの定義

最後91日目( ᷇࿀ ᷆ و)و

 

今日も元気だった娘ちゃん。

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パンダくんと一緒に、いつも通り首座りの練習をしました。

最近よく友達やら姉やら「幸せそうで羨ましい」と言われるんだけど、勿論私は、こんなに可愛い子が生まれてきてくれて幸せだと思う。幸せそうで羨ましい、いいなぁと言われるのは、別に嫌じゃないけど、まるで人生楽してると言われてるような、複雑な感覚になることもある。今はこんなに幸せだけど、結婚する前は、18から働いていた職場で、上司からパワハラに合ったりセクハラされたりしていた。仕事は大好きなのに、ごく1部の上司のせいで、傷ついてしまって、人生なんてどうでもいいとまで思ってた頃があった。死ぬ勇気も、家族を悲しませる度胸もなくて、誰か殺してくれればいい、事故に合えばいいのに、と上手にこの世から消えられる方法を考えたりしたこともあった。すぐにセクハラだのパワハラだの言われる世の中だから、「髪切った?」と言うだけでセクハラとジャッジされる世の中だけど、私が言ってるのはそんなことじゃない。どんなに叱られようが殴られようが、仕事に対しての事ならいくらでも構わないけど、ただ意地悪がしたいんだとか、ただただ人間として否定され続けて、慰めてくれる上司がいたから続けられたものの、旦那と出会う直前に、もう辞めよう。ここまでして、ここで働く価値はない。と見切りをつけてた時だった。そんな時に旦那に出会って、私は結婚した。そして今こうして幸せだと言える。他人に対して、自分より不幸な思いしてないでしょ。なんて勿論思わないし、逆に自分なんかより幸せそうだとも思わない。ただ、周りの友人は結婚してない人が多いから、結婚して子供がいる=幸せそう。毎日楽しそう。人生勝ち組。なんて言ってくる。私が一つ大人になって「そう!私は幸せだよ!」と笑顔で返せればいいのだけど、「私だって今まで生きてきて、ずっと幸せだった訳じゃないし、なんなら今だって悲しい事や大変なことだって沢山ある。」そう主張したい自分がいる。隣の芝生は青いんだよ。結婚してないから不幸なわけじゃないし、この世には生きたくても生きられない人もいれば、生きている事が辛くて、辛くてこの世を去ってしまった人さえいる。不幸とか、幸せの定義ってなに?と思う。私は今、こんなに可愛い娘がいてくれて幸せだと胸を張って言いたい。でも果たして、幸せは人と比べることなんだろうか。綺麗事と思われるかもしれないけど、誰かを羨んだところでその人の人生と交換できたところで、果たして幸せだと感じられるんだろうか。きらびやかな芸能人に憧れたって代わってみたら辛いに決まってる。人はみんな闇を抱えてて、その大小や濃い薄いは比べられないんじゃないかなと感じる。とはいえ、私はまだ旦那と出会う前、会社へ向かう電車の中で、ベビーカーに子供を乗せて乗ってきたお母さんが、子供と幸せそうにしてる姿を見て、何故か泣きそうになったことがあった。私にはこんな未来が来るのかなって。きっとその感覚と同じなのかもしれない。でも、子供を身ごもって産むまでの間は、自分でも驚くほどの情緒の不安定さで、小さな事で過剰に悲しくなったり、涙が出たりした。つわりも酷くて、痩せて絶望的だと感じた。産む時も、激痛に耐えて、人生で1番痛い瞬間だった。そして娘が産声を上げた時に、「頑張ってよかった」と思えた。私は幸せ者。それでも他人と比べられると、疑問に思ってしまう。人それぞれ幸せの形は色々あっていいし、羨まれる程毎日、楽して生きてる訳じゃない。幸せになりたいのなら幸せになる努力をしたらいい、そう思う。考えてみたら生きてるだけで幸せだし、毎日ご飯が不自由なく食べられるだけで幸せ、眠れるだけで幸せ、そこに好きなことをする時間や、やりがいを感じる時間、幸せな時間、絶対誰にでも幸せはあるから、だから私は、自分だって幸せでしょ?って言い返したいのかもしれない。勿論、私も幸せだけどね。でも羨ましがられるほど楽してるわけじゃないんだよね~(=^・・^)